学園設立の経緯

みくに国際学園の歴史は、既に他界された渡部正雄氏が抱いていた、神様への熱い思いから始まります。

ここでは、渡部正雄兄弟の三男にあたられ、みくに国際学園を運営する国際教育研究会(IERS)の米国理事長であり、みくに国際学園のカリキュラムディレクターを務める渡部正和氏による記録をもとに、その歩みを振り返ります。

Our Story


神の栄光にひたすら目を向けて・・・

私の父である渡部正雄は1914年6月に満州の鶏冠山(けいかんざん)で一家の次男として生まれました。

1934年には、ロシア語を専門に教育するために外務省がハルピンに設立した官立の大学で学び、中国語、ロシア語、日本語、英語をはじめ数ヶ国語の言語に堪能だったそうです。

大学卒業後に結婚し、優秀な成績を修めていた父は卒業生の中から1名だけ選ばれる留学生に推薦され、23歳になった父は16歳の母とともに北京で外交官としての新婚生活を送ることになりました。

北京大使館から東京の外務省本省勤務となり、第二次世界大戦の後は「終戦日米連絡事務局」と改名された外務省の仙台事務所へ転勤となりました。友人の多くが自らの命を犠牲にし戦死した中で、生き残った父は人生の目的について自問し、キリスト教会の聖職者との交流も深めていったと聞いています。そのような中で出会ったのが、末日聖徒イエス・キリスト教会の二人の宣教師でした。父は1949年11月に教会の会員となるのですが、「神の栄光にひたすら目を向ける」 生き方を最後まで貫き、2005年2月6日早朝に息を引き取りました。享年90歳でした。

勘違いしていただきたくないのですが、みくに国際学園の設立は父個人、ましてや 私たち親子の夢ではないのです。父は「神の栄光にひたすら目を向ける」人を一人でも多く見出すには、神のみ旨に沿った「教育」を提供する環境をここ日本に創りたいと切に願っていました。

父の遺志を受け継ぎ、学業と人格の向上を目指して

私が教鞭を執ってきたBYU(Brigham Young University:ブリガム・ヤング大学)は、国際的な大学、それも、こと外国語教育ではアメリカでも屈指の大学です。毎年、日本語を勉強する学生を京都・横浜に派遣する言語研修とか、学生が実際に日本の企業で働くというインターンシップのプログラムがあり、40年以上、日本の企業やホームステイのご家族にお世話になってきました。おかげで、かなりの卒業生が日本語を使い活躍しています。しかし、ただ、お世話になるだけでなく、少しは日本の皆様に恩返しができないかと思い、始めたプログラムが言語習得・教育というインターンシップです。BYUの学生たちを特訓し、学生が日本語を学ぶ傍ら、自分たちが日本語を学んできたように英語を教えるという趣旨で、当初(2006年)は、奉仕の形で、京都・横浜で始めたのですが、想像以上の成果があり、参加者も増え、大阪、神戸、福岡、札幌、千葉等に広がりました。この春と夏の集中講座は、主に高校生や成人が参加していましたが、同じような方法で小中生にも教えて欲しいという要望があり、キッズイングリッシュの集中講座やビデオでつないだ通年講座を設けてBYUの学生が(日本時間に合わせるため)早起きをして教えるE塾のプログラムを作りました。

ただ、効果的な言語習得と教育では、単に教室で学ぶだけでなく、実際に英語を使って生活したり、他の教科を英語で学ぶという体験が必要になります。そこで、各地の集中講座の後で、夏の2週間、公用の青少年の家を借りて、2012年の赤城山、続いて2013年の磐梯山と英語オンリーの合宿を試みました。これが「みくに国際学園」の先駆けとなります。

このような体験を通し、日本人に一番効果的な英語教育法を考えながら、BYUの学生と教授陣が中心になり、教材と英語教育法を開発し、卒業生の金銭的な援助を受けて作ったのが「国際教育研究会(IERS:International Education Research Society)=イエーズ」という非営利団体です。その趣意は、一大学だけのプログラムでなく、「神の栄光にひたすら目を向けるイエス・キリストの精神」を土台として、国際的な教育を目指し、青少年をはじめとする一般市民に対して語学に関する教育事業を行うことです。また、教育は、単に頭の教育だけではなく、心と体も含め、学術、文化、芸術又はスポーツの振興と青少年の健全育成を図り、国際協力に寄与できる人材作りをモットーに、日本IERSが日本国内の様々な都市を検討した結果、新潟県湯沢町の旧三国小学校の施設を常設キャンパスとして活用させて頂くこととなりました。さらに生徒の宿泊・学習用施設や管理用施設として近隣のコンドミニアム及びロッジを購入しました。また、特に英語圏の学生が日本に留学し、日本語と日本文化を学べるように、京都の修学院のすぐそばに京都ハウスを購入。英語を学ぶ学生と日本語を学ぶ学生が共同生活できる場所も設けました。  

このような施設をフルに活用し、徹底した語学教育を行い、できるだけ早期に語学力をつけてネイティブ&準ネイティブの講師陣、ネイティブの学生と一緒に専門科目を英語で学ぶ(イマージョンプログラム)という趣旨の「みくに国際学園」が2015年4月に正式に開校することになったのです。

Our Future


2020年はみくに国際学園だけでなく、世界が新型コロナウイルス感染によるパンデミックという大きなチャレンジに直面しましたが、一方でオンライン環境を本格的に導入することとなり、今まで以上に米国の優秀な教授陣に援助してもらいやすくなりました。幸いにも、既に開発されている言語教育法や教材とともに、これまで蓄積してきたE塾の経験もあったことから、非常に内容の濃いカリキュラムで授業をすることができます。これらは、みくに国際学園にとっては“危機”の中で見出した大きな転機でしたが、受講する学生にとっても学習意欲が高まる環境を構築できる素晴らしい“機会”になったと確信しています。

 

これらにより、一層卓越した言語教育や大学並みの教育が可能になったと強く感じています。

特に、言語習得においては日本国内で言語学習だけに時間・資金・努力をかけるよりも、(可能であれば)なるべく早く留学してしまうか、「みくに」で学んで大学の単位を履修(AP制度の活用)し、アメリカの大学を効率よく卒業して仕事につき、速やかに社会に貢献できるようにということを主眼にカリキュラムを開発していく所存です。BYUの教授陣や卒業生(アメリカIERSのほとんどは、BYUの元教授ないし卒業生)が言語教育法の最先端の知識や技術を駆使し、両国のイエーズの愛の働きで、力や資金を合わせ、日々小さくなる世界に成長していく若人のために、共に学び、永続する友との絆を強め、将来の国際社会に貢献していく次世代を築き上げていくのが「みくに国際学園」が描き、神の栄光にひたすら目を向ける未来です。